太宰治「パンドラの匣」

パンドラの匣 (新潮文庫)

パンドラの匣 (新潮文庫)

その結核療養所の名は「健康道場」。患者は「塾生」と呼ばれていた。
普通の療養所とは一線を画すその場所で、仲間や助手たちとの生活を、主人公の青年から友人へ宛てた書簡の形で綴る中編。「太宰治」の名を聞いて第一に連想されるようなじめっとした感じはなく、とても清潔で気高く、希望に溢れた小説だった。
主人公はいつも、太陽のほうを向いているようだ。

僕には、いま、あたらしい男としての爽やかな自負があるのだ。そうして僕は、この道場に於いて六箇月間、何事も思わず、素朴に生きて遊ぶ資格を尊いお方からいただいているのだ。
囀る雲雀。流れる清水。透明に、ただ軽快に生きて在れ!

身体の異変に暗い不安を感じていた主人公が「あたらしい男」に生まれかわったのは、終戦を告げるラジオを聴いた時だった。
現代に生きる私は、その感情を絶望といって正しいのかわからないけれど、すべての崩壊した瞬間、静かに沸きだす光を主人公は信じている。

お父さんの居間のラジオの前に坐らされて、そうして、正午、僕は天来の御声に泣いて、涙が頬を洗い流れ、不思議な光がからだに射し込み、まるで違う世界に足を踏みいれたような、或いは何だかゆらゆら大きい船にでも乗せられたような感じで、ふと気がついてみるともう、昔の僕ではなかった。

抗いようのない状況の中の、抗いようのない、希望。
「ゆらゆら大きい船にでも乗せられたような」「天意の船」「新造の大きな船」というように、健康道場に入ってからの新しい暮らしを「船」に喩える言葉が何度か出てくるが、全てを諦めたあとで残る“パンドラの匣の希望”を、作者は個人を超えた何か大きな存在として描いているのかもしれない。


そんな主人公が「健康道場」で過ごす日々は、ほんとうにきらきらとして見える。
日の昇らないうちに電球ひとつで静かに洗面所の床拭きをする、助手さんの姿。個性的なルームメイトたちのいざこざ。
ちょっとした喧嘩が起こった場面でのこんなドタバタが、なぜか好きだ。

かっぽれは、くるり越後獅子のほうに向き直って、越後獅子に抱きついた。そうして越後獅子の懐に顔を押し込むようにして、うわっ、うわっ、と声を一つずつ区切って泣出した。
廊下には、他の部屋の塾生たちが、五、六人まごついて、こちらの様子をうかがっている。
「見ては、いけない。」と越後獅子は、その廊下の塾生たちに向って呶鳴った。そこまでは立派であったが、それから少しまずかった。
「喧嘩ではないぞ! 単なる、単なる、ううむ、単なる、単なる、ううむ」
と唸って、とほうに暮れたように、僕のほうをちらと見た。
「お芝居。」と僕は小声で言った。
「単なる、」と越後は元気を恢復して、「芝居の作用だ。」と叫んだ。

こんな場面もほほえましく映ってしまうのは、全てのことが清潔で若者らしい志を持ち、「あたらしい男」と自負する主人公の目を通して描かれているから。
精神の健康さとはこういうことなんだな、と思える。そしてそれは、彼らが死の隣にいるからこそいえることなんだろう。
健全な精神は健全な肉体に宿るわけではない。
太宰治は暗い」なんてイメージの吹っ飛ぶ、背筋も伸びる、一作。