笙野頼子「タイムスリップ・コンビナート」

去年の夏頃の話である。マグロと恋愛する夢を見て悩んでいたある日、当のマグロともスーパージェッターとも判らんやつから、いきなり、電話が掛かってきて、ともかくどこかへ出掛けろとしつこく言い、結局海芝浦という駅に行かされる羽目になった。


……という書き出しで始まる、この風変わりな小説。
筋だけを追うならばこの冒頭ですべては言い尽くされてしまっている。
ほんとうにストーリーはそれだけ、とにかく難解、正直よくわからなかった。
主人公が「海芝浦」を目指して乗車する鶴見線は、京浜工業地帯のまっただなかを走り、昭和の空気の色濃く残る「高度経済成長の遺跡」的な路線である。
「浅野」「安善」「武蔵白石」「入船公園」「ゴム通り」などなど、今も確認できる固有名詞が、異常に正確に頻出していて驚く。
そんな現実世界の場を歩きながら、主人公の意識は様々にゆらぐ。
何かが目に入るたび、イメージを繋ぐように過去の記憶は引き出され、言葉もまた、ずれていく。
「海品川、馬白裏、なみ、しまうら」、「沖縄変換、オキナワ返還」「沖縄海岸、沖縄会館」と少しずつシフトしていく。夢の中の世界がそうであるように。(そんなふうだからこの小説はこれだけ地名が出てきても決して観光小説的にはならない。)
そもそも「駅なのに東芝の工場だから外に出られない」とか、「鶴見のなかにある沖縄タウン」とか、目的地も一歩越えれば異空間になる場所だ。だから主人公の道のりはすごくはっきりしているのにどこか不思議。
夢と現実のあわい。私が現実の海芝浦や鶴見会館へ行ってみても、なにもこの小説のことはわからないのかもしれない。

笙野頼子三冠小説集 (河出文庫)

笙野頼子三冠小説集 (河出文庫)

「タイムスリップ・コンビナート」の舞台

「タイムスリップ・コンビナート」の舞台は、ほんとうにあるんです。自宅からそう遠くないところにあるので、お盆休みを利用して訪問してみました。

海芝浦と同じく主人公の目的地になっていた、沖縄会館。文中をよく読むと書かれているように、正式には「沖縄会館」という名前ではないみたい。スナックの看板も小説通り!

作業着屋さん。看板のうたい文句がそっくりそのまま描写されている。小説が書かれてから10年以上経っているのに、見つけられるなんて感動。

「入船公園」ってプレートだけ撮ったってどうしようもないよな……。ここで主人公は等身大のG.I.ジョーの人形を見つけるのですが、それは発見できませんでした。そもそも一世を風靡したというG.I.ジョーを私は知りませんでした。「G.I.ジョーとは」とか現地で携帯でググっていました。

そして鉄道ファンの皆様にもおなじみ海芝浦!

海芝浦……短いホームの片側に緑の鉄柵だけ、下は海、柵の下の海にベージュの汚い海が浮かんでいる。中性洗剤とシャンプーの瓶が浮いて漂っている。

とあるように(洗剤やシャンプーの瓶はなかったものの)あまりきれいな海ではありません。
でも晴れた日には電車の扉が開いた瞬間、深いブルーが目に飛び込んで、かなり興奮!

その他にも、浅野駅、安善駅、武蔵白石駅、鶴見消防署入船消防出張所、釣り船店富士丸、カモメ公害注意の看板などを確認したけれど、細かすぎるうえ特に絵的に面白くないので割愛。
文庫本を片手に歩いてみて、文中の、現実に存在している地名や固有名詞の多さに改めて驚きました。
きっとそれは相当意図的なものだと思うものの、鶴見線界隈を歩いてみても、この小説の秘密はわからずじまいでありました。

「パンドラの匣」映画、窪塚氏

パンドラの匣」映画化のニュース記事より。


窪塚洋介、太宰作品にハマる「ゲラゲラ声を上げて笑いました」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090617-00000010-flix-movi


このニュースの反応に「一体どこが笑えるのか」という批判が多々あったので、全体の読書感想とは別にちょっと書きたかった。
主人公の過ごす結核療養所から退院した男から届く手紙が、作中、異彩を放っていてやけに印象に残った。
「こんな手紙をもらった人は災難だ。悩まざるを得ないだろう。名文と言おうか、魔文と言おうか」(原文より)。
この手紙を送る役どころが、映画版での、窪塚洋介
「ゲラゲラ笑う」ほどなのかどうかはともかく、多分ツボにはまったのはこの手紙ではないかしらと思って、少し長いけど紹介したい。
私はこれを読んで、窪塚氏はハマり役だと思ったのだけど……。
この手紙が映画に登場するのかはわからないけれども。面白いので、是非使ってほしい。

過ぎし想い出の地、道場の森、私は窓辺によりかかり、静かに人生の新しい一頁とも云うべき事柄を頭に描きつつ、寄せては返す波を眺めている。静かに寄せ来る波……然し、沖には白波がいたく吠えている。
然して汐風が吹き荒れているが為に。


夕月が波にしずむとき、黒闇がよもを襲うとき、空のあなたに我が霊魂を導く星の光あり、世はうつり、ころべど、人生を正しく生きんがために努力しよう!男だ! 男だ! 男だ!! 頑張って行こう。
私は今ここに貴女を妹と呼ばして頂きたい。私には今与えられた天分と云おうか、何と云っていいか、ああ、やはり恋人と云って熱愛すべき方がいい。


それは人じゃない、物じゃない、学問であり、仕事の根源であり、日々朝夕愛すべき者は科学であり、自然の美である。
共にこの二つは一体となって私を心から熱愛してくれるであろうし、私も熱愛している。


ああ私は妹を得、恋人を得、ああ何と幸福であろう。妹よ!!私の!!
兄のこの気持、念願を、心から理解してくれることと思う。
それであって私の妹だと思い、これからも御便りを送ってゆきたいと思う。
わかってくれるだろう、妹よ!!
えらい堅い文章になって申わけありませんでした。然も御世話になりし貴女に妹などと申して済みませんが、理解して下さることと思います。
貴女の年頃になれば男女とも色んなことを考える頃なれど、あまり神経を使うというのか、深い深い事を考えないようにして下さい。私も俗界を離れます。
きょうはいいお天気ですが、風が強いです。偉大なる自然!われ泣きぬれて遊ばん!
おわかりの事と思う。きょうのこの手紙、よくよく味わい繰返し繰返し熟読されたし。
有難うよ、マサ子ちゃん!!がんばれよ、わがいとしき妹!!
では最後に兄として一言。


相見ずて日長くなりぬ此頃は如何に好去くやいぶかし吾妹


正子様
一夫兄より

「男だ! 男だ! 男だ!! 頑張って行こう。」とか
「えらい堅い文章になって申わけありませんでした。」というのがツボ。
けっこう、前衛的じゃないでしょうか。


小説全文はこちら(青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/1566_8578.html

太宰治「パンドラの匣」

パンドラの匣 (新潮文庫)

パンドラの匣 (新潮文庫)

その結核療養所の名は「健康道場」。患者は「塾生」と呼ばれていた。
普通の療養所とは一線を画すその場所で、仲間や助手たちとの生活を、主人公の青年から友人へ宛てた書簡の形で綴る中編。「太宰治」の名を聞いて第一に連想されるようなじめっとした感じはなく、とても清潔で気高く、希望に溢れた小説だった。
主人公はいつも、太陽のほうを向いているようだ。

僕には、いま、あたらしい男としての爽やかな自負があるのだ。そうして僕は、この道場に於いて六箇月間、何事も思わず、素朴に生きて遊ぶ資格を尊いお方からいただいているのだ。
囀る雲雀。流れる清水。透明に、ただ軽快に生きて在れ!

身体の異変に暗い不安を感じていた主人公が「あたらしい男」に生まれかわったのは、終戦を告げるラジオを聴いた時だった。
現代に生きる私は、その感情を絶望といって正しいのかわからないけれど、すべての崩壊した瞬間、静かに沸きだす光を主人公は信じている。

お父さんの居間のラジオの前に坐らされて、そうして、正午、僕は天来の御声に泣いて、涙が頬を洗い流れ、不思議な光がからだに射し込み、まるで違う世界に足を踏みいれたような、或いは何だかゆらゆら大きい船にでも乗せられたような感じで、ふと気がついてみるともう、昔の僕ではなかった。

抗いようのない状況の中の、抗いようのない、希望。
「ゆらゆら大きい船にでも乗せられたような」「天意の船」「新造の大きな船」というように、健康道場に入ってからの新しい暮らしを「船」に喩える言葉が何度か出てくるが、全てを諦めたあとで残る“パンドラの匣の希望”を、作者は個人を超えた何か大きな存在として描いているのかもしれない。


そんな主人公が「健康道場」で過ごす日々は、ほんとうにきらきらとして見える。
日の昇らないうちに電球ひとつで静かに洗面所の床拭きをする、助手さんの姿。個性的なルームメイトたちのいざこざ。
ちょっとした喧嘩が起こった場面でのこんなドタバタが、なぜか好きだ。

かっぽれは、くるり越後獅子のほうに向き直って、越後獅子に抱きついた。そうして越後獅子の懐に顔を押し込むようにして、うわっ、うわっ、と声を一つずつ区切って泣出した。
廊下には、他の部屋の塾生たちが、五、六人まごついて、こちらの様子をうかがっている。
「見ては、いけない。」と越後獅子は、その廊下の塾生たちに向って呶鳴った。そこまでは立派であったが、それから少しまずかった。
「喧嘩ではないぞ! 単なる、単なる、ううむ、単なる、単なる、ううむ」
と唸って、とほうに暮れたように、僕のほうをちらと見た。
「お芝居。」と僕は小声で言った。
「単なる、」と越後は元気を恢復して、「芝居の作用だ。」と叫んだ。

こんな場面もほほえましく映ってしまうのは、全てのことが清潔で若者らしい志を持ち、「あたらしい男」と自負する主人公の目を通して描かれているから。
精神の健康さとはこういうことなんだな、と思える。そしてそれは、彼らが死の隣にいるからこそいえることなんだろう。
健全な精神は健全な肉体に宿るわけではない。
太宰治は暗い」なんてイメージの吹っ飛ぶ、背筋も伸びる、一作。

吉野朔実「period(3)」

period 3 (IKKI COMIX)

period 3 (IKKI COMIX)

前の刊行から3年4ヶ月……とても待った。
兄弟の預けられていた施設は火事で燃え、3集では親戚のアパートでいとこと三人、ほとんど子供たちだけの環境で質素に(でも、逞しく)暮らす日々が描かれている。ますますハッピーエンドは想像しづらい展開になったけれど、久しぶりに続きが読めたことはそれだけで嬉しかった。


吉野朔実さんの描く人物たちの、他人との線の引きかたは相変わらず。
これまでの作品にも何度か出てきた「プレゼント=暴力」というエピソードが、今回最もわかりやすく登場している。裕福な家庭の娘である恭子が、たぶん素朴な善意から持ってきたクリスマスプレゼント。それが受け取る彼らのプライドを傷つけることを、兄弟と同居している女の子、まいらは見抜き、許さない。「タダのものなんて受け取ってたまるか。あとで何を払わされるかわかったもんじゃない。」まだ中学生だというのに、ここまできっぱりとした台詞を放つ賢さはいかにも吉野作品のキャラクターのものだ。年齢や立場には依らず、いつも屹然としている。


児童虐待、いじめ、両親のいない環境……といった内容のヘビーさから「面白い」とも「好きだ」とも言いにくい作品ではあるけれど、やっぱり今後が気になる。1集冒頭の未来のシーンへ繋がるのはいつなのか、ストーリーは全体のどの辺りまできているのか。


“period”という英単語には「ある期間」「ある時期」という意味がある。これはハルとヨキの子供時代を表しているのか?もしくは、父親と家で過ごした時期(1集)、施設で過ごした時期(2集)、いとこのアパートで過ごした時期(3集)とそれぞれの期間を指しているのかもしれない。*1
夏目漱石が彼岸過ぎまで連載をすることを依頼されて「彼岸過迄」という題の小説を書いたように、一定期間ごとの連載だから“period”とつけたんだったりして、と私はけっこう真面目に想像している。吉野さんは漱石がお好きとのことだから。
これからどのような子供時代が描かれるのか、先は長いかもしれないけれど、しっかりと最後まで見守りたい。
だからどういう事情かわかりませんが、月刊IKKI様、今後安定した掲載をどうかよろしくお願いします。

*1:2chでみかけた意見を支持。私は“period”はいかにして暴力を終わりにするか、という意味だと思っていたのだけど、この語の意味を聞いて個人的にすごく納得した。

コミックレンタルと少女漫画

地元のレンタルビデオ屋でコミックレンタルができるようになっていたことを知り、先週から利用している。
7泊80円ということになっているのでブックオフで100円で買った方がいいんじゃないかという説も(自分の中で)あるが、家にこれ以上漫画を増やしたくなかったり。
性格上簡単に捨てられないし、捨てるか捨てないかという判断に迷うことじたい億劫なので、所有できないということはむしろプラス。それなら漫画喫茶でもいいのだけど、前に行ったときは貧乏性のため常に延長の15分間隔を意識するようなことになっていたので、それがないのもいいなあと思った。
品揃えはほぼ少年・青年漫画で、私の期待している少女漫画は4分の1くらい、それもアニメ化・ドラマ化されたような続き物のヒット作がほとんど。あまり自分のニーズとは合っていないけれど、そこは割り切って、気になるものだけうまく利用したい。


とりあえず椎名軽穂君に届け」と石田拓実「ジグ☆ザグ丼」を少しずつ借りている。いくえみ綾とか谷川史子とかは置いてない。少しヒット作寄りでも「まっすぐにいこう」なし。「花より男子」有名なのになぜかなし。「恋愛カタログ」あっても「イタズラなkiss」なし。「ジグ☆ザグ丼」あるのに「パラパル」なし。汚れてる暇なんかなし。「女の子の食卓」とか置いて欲しいんだけどなー……集英社系ばっかりだな。


君に届け」は1巻の時点ですでに主人公&相手の男の子にあてられるようなシーンが多々あり、読んでて気恥ずかしくしきりにニヤニヤしたりしていた。主人公・貞子(爽子)のキャラクターがポジティブなんだかネガティブなんだか、変わっていておもしろい。
「ジグ☆ザグ丼」のほうはまだよくわからないのだけど、この人の作品は登場人物が身体のレベルで悩むところが正統派少女漫画誌の中では特殊だなあと思って最近気になる。「パラパル」の最終回も良かった!


なんだかこの人毎週少女漫画ばっか借りに来てキメエwwwみたいなことにならないといいけど。
あまり借りるものがないので長くは続かないかなと思いつつも「これ返して続きを借りよう!」と毎週20分の道のりを歩くきっかけにもなるのがうれしい。
駅前の大きなツタヤでもコミックレンタル、やってくれたらいいんだけどなあ。

君に届け 1 (マーガレットコミックス)

君に届け 1 (マーガレットコミックス)

↑この表紙の印象よりも主人公のキャラは強烈。
ジグ・ザグ丼 1 (りぼんマスコットコミックス クッキー)

ジグ・ザグ丼 1 (りぼんマスコットコミックス クッキー)

↑私の高校時代とは程遠い話。

川端康成「みずうみ」

みずうみ (新潮文庫)

みずうみ (新潮文庫)

女の後をつける癖のある元教師の男が主人公。プロットらしいプロットもない。描写はふっと過去の記憶に流れたり、前触れなく他者の視点に切り替わったりと、水のように捉えどころがない。
タイトルの「みずうみ」は主人公の子供時代に関わりのある場所で、たびたびそれが出てくるのは深層心理的・トラウマ的なものを表しているのだと思う。


何か出来事が起こったり解決したりというような一般的な物語の論理ではなく、夢の世界の論理で紡がれたような小説だと思った。漱石の「夢十夜」や、内田百けんの「冥途」と同じ分類をしてよいだろうか。
他人の後をつけるという偏執的な行為を描いていながら、このたゆたうような描写は一種の幻想的な感覚を呼び起こす。なんのために、どこに向かって歩いているのかわからない。歩いているのか、泳いでいるのかわからない。小説ではなく散文詩のように、そのなかに没入してみてもいいかもしれない。


この「意識の流れ」という手法は「水晶幻想」でも使われたということなので、そのうちそちらも読んでみたいと思う。

水晶幻想/禽獣 (講談社文芸文庫)

水晶幻想/禽獣 (講談社文芸文庫)