諏訪哲史「アサッテの人」

アサッテの人

アサッテの人

叔父の発していた謎の言葉、「ポンパ」とか「チリパッハ」とかにまつわる小説。「ポンパ」とか「チリパッハ」みたいなのが、「アサッテ」らしいんだけど、「アサッテ」って何なの?……というような小説。


こういうもの、とくに言葉や書くこと自体についての小説は読者の読みの能力しだいというか、わからない人にはさっぱりわからないということになりがち、つまり「難解」になりがちだと思う。安部公房とかさ。
でも、この「アサッテの人」では、一番肝心なところ(=「ポンパ」とか「アサッテ」とかいうものの考察)は、語り手によって丁寧すぎるくらいに明かされるので、迷い込むことはなかった。


ネットでのレビューを見てみるとかなりレベルの高い分析をしている人もいるが、けして「この小説の意味はさっぱり分からない」というような小説ではない。
私のようにあまり知識がなくとも


は?ポンパって何よ? 
 ↓
あーなるほどなるほど、それがポンパね。
 ↓
ポンパもう駄目だ……


くらいのところはさすがにわかるようになっている。
特に、単に響きのおかしなことが好きな人には相当面白いと思うので、そこを楽しんでもありじゃないかなと。


来客した新婚さんが口論しているときに突然
「つまり、それは、タポンテューだ」
「いいかえれば、ぁ『チリパッハ……』だ」
とか、
夫の口癖を奇妙に思った妻がばかに真面目にその用例を分析するくだりとか、「水金地火木土天界冥」の正しい発音(?)とか、一種の言葉マニア*1にはとてもツボにくる。
とりわけ終盤盛り上がったところでの

「ポンパをやめよ。ポンパをやめよ。ポンパを呟くことをやめよ。ポンパはすでに使い過ぎた。ポンパをやめよ。ポンパを投げ捨てよ。」

なんて絶好調じゃないですか。
こんな楽しみ方も許されてほしい。

*1:たとえば私は「チューリッヒ」という言葉が好きだ。「チューリヒ」じゃない、「チューリッヒ」!