田辺聖子「ジョゼと虎と魚たち」

ジョゼと虎と魚たち (角川文庫)

ジョゼと虎と魚たち (角川文庫)

私は男女の恋愛をメインテーマにした小説をほとんど読まない。たぶん他人のロマンスにはあまり興味がなくて、のろけ話を聞いてるみたいで疲れてしまう。
そんな私でも今回はハマった、どまんなか恋愛短編小説集。


恋愛小説は苦手なのに、私は今でも少女漫画読みだ。
それは恋愛自体に興味があるというより、女の子の感情の中に自分を見つけたいからという意味が大きい。
「ああ、そういう時ってあるなあ」「自分もそう思っていたんだ」ということを確認できたときのよろこび。それが心地よくて、なるべくなら短編を合わせた、色々な女の子や物語が出てくる本を私は好む。


だからこの小説を読んだ時、けして安易な蔑称としてではなく、「少女漫画的なもの」を感じた。
こういう感情になってしまうことがある、あるいは、こういう男の人っているよね、こう考えてんだろうね……ということに気づかされる快感。
登場人物も十人十色なのに、いくつもの自分やこれまで出会った誰かを、この本のなかには見つけることができる。


たとえば女について。

大庭とはまだ一年ぐらいのつきあいであるが、どきどきする心弾みは薄れていなくて、以和子は好きな大庭と会う、最初の一瞬は、彼と視線を合せるのが羞ずかしいのであった。
(「雪の降るまで」)

あるいは、男について。

連は「海の見える別荘が夢だった、と話していた。
もっとも、これも女といっしょで、(そこにある)と思ったら、実際に行かないでも満足できるらしいのだ。
(「男たちはマフィンが嫌い」)

そして、彼らの関係を。

不機嫌というのは、男と女が共に棲んでいる場合、ひとつっきりしかない椅子なのよ……
(「荷造りはもうすませて」)


彼らはすでに結婚していたり、バツイチだったり、若い盛りは過ぎている。
そんな彼らが経験を重ねた恋愛を通して自らの感情に向き合っているのをみると、この小説をもっと「わかる」ようになるのは歳を取ってからこそではないかと期待してしまう。同時に、「全然わからない」大人になってしまいそうな可能性も大いにあって、それって格好悪いなあと心配にもなる。


10年後、20年後、読み返したらどう感じるだろう。
この本は、その時私がどれだけ「少女」であり、どれだけ「大人の女性」であるのか、両方を試してくるだろう。
それを楽しみといえるような自信はないけれど、その頃までずっと大事に取って置きたくなるような、そんな本だ。