大村はま「教えるということ」

新編 教えるということ (ちくま学芸文庫)

新編 教えるということ (ちくま学芸文庫)

例えば学校を検査場にしてはいけないということ。
「(教科書を)読んできましたか」とか「(家での)勉強が足りませんね」とか「残りはやってきましょう」とか言ってはならないこと。作文の時間のとき、子ども達が書きあがるのをただ見ていたり、ましてや次の時間の準備なんて絶対やってはいけないということ。
頭では初めからわかっていた。でもどれだけ子どもに「検査」ばかりさせてきたか。例えば90分、その「いま」二度と戻らないその時間に、少しでも「できる」ようにさせるのが教師の仕事だった。


「できない子」に一生懸命になるあまり、「できる子」の伸びたい気持ちを忘れていないかということ。
子どもと同じくらい勉強しなければ、生徒とは遠く離れた人間になってしまうこと。
二十代のアイディアは大切だということ。(歳を取るごとに誰でも、新しい冒険ができなくなっていってしまうんだろう)


大村先生は当時女性の先生として例のないところを、たった一人「創作的に」歩んでこられた。月一回の研究授業では、既存の教材はいっさい使わず、今までやったことのないことを実践されていたという。
「ひと月の間の苦しみはたいへんなものです。新卒の時と同じ苦しみです。」
この若い研究精神を持ち続けることを、どれだけの社会人が忘れてしまうだろう。


何か新しくつくること、「自分が」始めること、どんな職業でも、自分の一生に前例はない。
創作的な気持ちで挑むしかないのだ。私も。